火花は夢を追う者の切実さを代弁している。

 芥川賞受賞をしたことで有名な「火花」を読みました。初の漫才師の受賞に対して「受賞は早すぎたんじゃないか」などの疑問の声もありましたが、個人的には、賞を取るだけの魅力が十分にある作品だと思いました。

 夢を追う若者の話だったため私と共感できる部分がありつつ、好きなことをして生活することの厳しさもリアリティをもって描かれていたことで、焦りを感じさせられました。

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 この話は芸人を目指す若者の葛藤の物語ですが、私はそもそもお笑いが好きではありません。昔から家でテレビを見る習慣がなく、たまに見ても映画やニュース程度でした。そのため、子供の頃から周囲の会話についていけないことがよくありました。しかし特にそれに関して悩む機会もありませんでした。

 状況が変わったのは中学二年生の時、当時好きな子がお笑いが大好きだったのです。心躍る想いでその子と会話をしていたある日「○○って人(有名な芸人の名前)知ってるよね?」と聞かれました。私は全くその名前を聞いたことがなかったので「ん〜歴史上の人物?」と言ったところ、大笑いされました。好きな子に馬鹿にされるような大笑いをされるとショックですよね。このままでは駄目だと思って、その日からいくつかのお笑い番組を見始めたのですが、どうしても面白さが分からず、結局諦めました。あ、僕は時代に取り残されてるな…と感じたような記憶があります。

 

 とまあこれは私の昔話で、これ以上は関係ありません。つまり私はお笑いに関してほとんど理解がないのです。そんな中私は、「分からない」としているものに必死で人生を賭けている主人公の物語を読むこととなったわけです。主人公やその周辺の人物にとって、笑いが人生そのもですが、私には人生を賭ける価値のあるものだと思えません。その違和感に、始めは「なるほど、こんな人も世の中にはいるのか」と他人事のように思っていました。しかししばらく読み進めると、「あれ、これって私たち(美大生)も同じか…」と気づきました。改めて自分を客観視したようなものです。どんな分野でも(私でいうと美術ですが)、必死に人生を賭けているのはあくまで個人的なもので、他人や社会に自分の努力や信念といった部分を理解してもらうことは難しい…。考えてみれば当然です。

 

 しかし、この作品は、その個人的な部分である葛藤や泥臭い人生を存分に読者に知らしめることができていると思います。それは「最後は満足できてよかったね」とか「努力って素晴らしいね」とかいうような安易な感動ではありません。毎日毎日、笑いについて考えて生きている主人公とその先輩の思考が、人間関係を通して生々しく露呈されている姿は、ため息が出るほど切実なものです。最後に近づくにつれ、文章全体が声にならない叫びのようにも感じました。

 私も人生の中で、馬鹿にされたり、侮蔑の目で見られることは多々あると思います。しかしそれでも、この作品のように切実な叫びを発せられる生き方ができたなら、幸せだと思える人間になりたいと心から願います。